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2015.09.17
日本独自の調味料「しょうゆ」造りの歴史をひもとく
日本の伝統的な調味料「しょうゆ」。その秘密を探るために千葉県野田市にあるキッコーマン「もの知りしょうゆ館」を訪ねました。
野田市がなぜしょうゆの町となったのか、そこには現在のように交通網が発達していなかった時代ならではの理由がありました。
今回はしょうゆ造りの歴史について紹介します。
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野田市はしょうゆ造りにピッタリの地だった

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現在の千葉県野田市でのしょうゆ醸造は、高梨兵左衛門家によって江戸時代初期である1600年代に開始されました。
やがて茂木七左衞門家など続々としょうゆ造りをするようになり、野田は関東一のしょうゆの産地へと成長。 その後、茂木・高梨一族および、流山の堀切家が合同して「野田醤油株式会社(現・キッコーマン株式会社)」を設立しました。 そこから変わらず現在まで、野田の地でしょうゆが造り続けられています。それは気候だけではなく立地条件も兼ね備えていたため。 では、しょうゆ造りに適した立地とは何でしょうか?

原料&製品の運搬に便利な立地

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しょうゆの原料は「大豆・小麦・食塩」の3種類です。 野田市周辺には利根川・江戸川という大きな川があり、川はこの3つの原料を運ぶのに重要な役割を担っていました。
大豆は現在の茨城県から、小麦は現在の群馬県や埼玉県から、塩は江戸川の河口に近い千葉県の行徳から集められていたそうです。 完成したしょうゆは江戸川を使うと、江戸まで半日ほどで運ぶことができたのです。

徳川家にも献上されていたしょうゆ

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キッコーマン野田工場の敷地内にある御用醤油醸造所(通称「御用蔵」)は、伝統的なしょうゆの製造方法を紹介するミュージアムにもなっています。
この蔵では現在でも宮内庁に納めるしょうゆを醸造していて、この日、仕込室では仕込んだばかりのもろみと、二段仕込みの二種類のもろみを見ることができました。シートをかぶせた状態の日もあるので、この様子を見ることができるのはラッキーなのだとか。
江戸時代の面影が残っている蔵をめぐって、当時の様子を垣間見ることができます。
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仕込み室の下に降りると古くから使用しているという大きな樽が見えます。
樽は常に食塩水やもろみが入っていないと、すぐにダメになってしまうものだそう。 ほのかにしょうゆの香りも漂い、70年以上も前からこの樽で絶えずしょうゆが造られているという歴史を間近で感じることができました。
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しょうゆ作り体験では、作って1カ月、3カ月、6カ月のもろみを実際に見て香りの違いを感じることができます。 少しずつ変化し、しょうゆの香りが強くなっているのが分かり、視覚だけではなく嗅覚でもしょうゆの歴史を知ることができます。
今回はしょうゆ作りが始まったころの歴史を紹介しました。食卓にいつもあるしょうゆですが、醸造が始まった頃からの長い歴史や作り方、発酵の様子など知らなかった事が数多くあり、驚きもいっぱいでした。 昔と変わらない製法で作られているしょうゆを、じっくりと味わいたくなりますね。